耐雪梅花麗「雪に耐えて梅花麗し」


新年が明けると、そろそろ梅の花がほころび始める時期になります。寒さに耐え、百花に先駆けて開花する梅の花は、その可憐さのみならず、忍耐強さのたとえとして文学や詩に登場することも少なくありません。
「耐雪梅花麗」は西郷隆盛がアメリカ海軍兵学校に留学する甥の政直に贈った漢詩です。
耐雪梅花麗
<原文>
一貫唯唯諾
従来鉄石肝
貧居生傑士
勲業顕多難
耐雪梅花麗
経霜紅葉丹
如能識天意 、
豈敢自謀安
<訓読>
一貫す、唯唯の諾
従来、鉄石の肝
貧居、傑士を生じ
勲業多難に顕わる
雪に耐えて梅花麗しく
霜を経て楓葉丹し
如し、能く、天意を識らば、
豈敢て、自から安きを謀らんや
<現代語訳>
一度よろしいと承知したならば、それを最後まで貫き通さなければならない。
それには鉄のような固い意志が必要だ。
人並みすぐれた人物は、貧しい生活やあらゆる困苦に打ち勝って現れる。
また、勲功ある事業も多くの艱難の中から現れる。
梅の花は、厳寒の雪に耐えてこそ、あの美しい花を咲かせる。
楓の葉は、霜を凌いでのち、見事な紅葉となるのである。
君がもし、この天の心を知りえたならば、
どうして安易な生き方を自ら選んだりしようか。
西郷隆盛は、江戸幕末、薩摩藩の下級武士で、藩主島津斉彬公の目にとまり登用されますが、斉彬公の急死で失脚し、奄美大島に流されます。その後、復職し、薩長同盟の成立や江戸無血開城など大きな成果をあげ、明治政府では重要な役職に任命されました。
この詩は、西郷隆盛の信念である「一諾千金」の精神を歌ったものと言われています。「一諾千金」とは、一度約束したことはどんな困難があっても必ず守るという意味です。西郷隆盛は、この精神を貫くためには、強い意志と忍耐が必要であると説いています。
厳しい雪の寒さに耐えてこそ、梅の花は美しく咲く。人間も、多くの困難を経験してこそ、大きなことを成し遂げられる。この詩は新天地に向かう甥への激励と言えるでしょう。
さて、「雪に耐えて梅花麗し」という言葉は、元広島東洋カープの黒田博樹投手の座右の銘としても知られています。
高校時代、この言葉に感銘を受けた黒田投手は、以来この言葉を大切にし、ヤンキース時代にはキャンプのミーティングでもこの言葉を紹介したそうです。
チームメイトのジーターは「彼の詩は、われわれに直接あてはめられるもの。良い時も悪い時も、常に変わらず汗を流し続けることが大切だし、がんばれば必ずその報いがある」と心を打たれ、またジラルディ監督は梅の花の写真を探し、自身のパソコンの壁紙にしたそうです。
偉人の言葉には、時代を越えて、多くの人を励ます力がありますね。
私たちの会社がある和歌山県みなべ町は、日本一の梅の里といわれるくらい、たくさんの梅の木がある田舎町です。
毎年2月になると、みなべ梅林に梅の花が咲き誇り、見る者を魅了する、素晴らしい景色が眺められます。ぜひ一度、みなべ町に足を運んでください。
お土産はもちろん、紀州南高梅の梅干しをどうぞ。